#黙示録の四騎士 169話

ども、ガミガミです。

今週も『黙示録の四騎士』感想です。

ネタバレ全開&鈴木央の過去作品ネタ満載なのでご注意ください。

 

 

パーシバル

「心の底から生きようとする器に宿った

 生命の精霊は簡単に引きはがせはしない

(絶対引きはがせないとは言ってない)

 

 

 

…というわけで、前回からの流れでパーシバルに潜む、闇とまでは言えないまでも深くて見えづらい部分が垣間見えた展開なわけですが…

 

今回の正直な感想としては、パーシバルがどうこうよりもアンの精神性が2年前からまるで成長してないのが相当気になってきたんですよね。

(ナッシーはずっと妖精王の森に居たので仕方ない部分はあると思う。)

 

パーシバルが死んでからの2年間、ブリタニアキャメロットからの激しい蹂躙を受けていて、そんな中でブリタニアの命運を左右する立場として敵陣に乗り込んで活動を続けていたら、命のやり取りを含めたそれ相応の経験を経て、それ相応の覚悟と判断力が芽生え、ある意味”大人”になって心が成長しているかと思ってたんです。

 

…が、”アンヌヴン剣闘祭で仲間が勝利する=現在の目的達成に近づく”という結果と、”パーシバルには昔のように潔癖無垢で居てほしい”という自分の願望を天秤にかけた上で、どう見ても後者の方に重きを置いてるアンの姿からは、まるで心の成長が感じられない。

ランスロットが闇のタリスマンを全滅させて仲間全員の命が助かったにも関わらず、そのランスロットに対して抱いた感想が「信じられない!」「なんのためらいもなく全員を殺した!」だった時のアンから、何ひとつ成長してない

 

仮に、アン自身がこの2年間で徹底的にアーサーの配下を殺しまくっていて、自分の手が汚れきってしまっているからせめてパーシバルには潔癖で居てほしい…みたいな願望がきっかけならその言動も理解できるんですが、おそらくそうではないだろうと思われます…

 

ドニーに関しては後述しますが、なんというか…

この世界観でここまで”重要な任務にあたってる人間”の心の成長が見られないと、所詮はその程度の緊迫感なのか…と思えてきて、なんかその世界観に対して冷めてしまうんですよね。

「まあ結局なんとかなるんでしょ?これ」みたいな…

 

緊迫感という意味で比較対象に大罪を持ち出すなら、十戒〉が登場した直後あたりの「いやいやいや…どうすんのこれ?…」みたいな緊迫感が、敵(キャメロット)側の格の低さも相俟って今の黙騎士にはまるで感じられない。

 

とにかく今回のアンの反応は結構ショックでしたね…

アンが抱えてる母親絡みのトラウマが判明して、この辺の反応が納得できる展開になればいいんですが…

 

 

以下、箇条書き。

 

・扉絵

>その眼に宿るは漢の覚悟!!!

覚悟=舐めプ

 

・パーシバル「でも~~運んで休ませてあげなきゃ…」

休めばなんとかなる(生命の精霊が戻って来る)んだ…

 

・ドニー「楽勝だったなパーシバル!!」

この反応ができるドニーは、良い意味で割り切れてるというか成長してるのかな…

と思ったんですがね…この時までは。

 

・ナッシー「パーシバル… です…よね?」

「パーシバル」「ですよね?」=そうですよね、という同意

「パーシバルですよね?」=本当にパーシバルなの?という疑問

この2つがダブルミーニングになってる深いセリフなのかもな、と感じた。

 

・盾を投げて攻撃

この福袋、額にAって書かれてないぞ?

 

・ドニー、死す(死んでない)

前述したアンの心の成長が見られなかったこともショックだったんですが、今回のドニーの立ち回りに関してはそういう心の成長がどうこうより、物語の展開上ただ単に「舐めプしてやられる役回り」みたいな扱いをされてたのが、なんかすごくでしたね…

実際問題ドニーが勝ち上がるとは思ってませんでしたが、こういうもはや舞台装置みたいな扱いにされるのか、という悲しさみたいなものもあって…

ドニーはお調子者ですけど、相手を舐めてかかった奴がどうなるか?っていうのは、命のやり取り込みで目の前で見てるはずですからね。

パーシバル隊を舐めてかかったエルギンがどうなったか?

キツネ姿のシンを舐めてかかった闇のタリスマンがどうなったか?

そういう経験を全く活かしてないキャラとして描かれるのは、さすがにちょっと残念だな、と…

 

 

それではまた来週。